シットウェー

ミャンマー西部のラカイン州に位置しているシットウェーは、遺跡地ミャウーに向かう人々の一般的な立ち寄り場所です。このラカイン州の港湾都市は、ベンガル湾に注ぐカラダン川の河口にあります。植民地時代(アキャブとして知られていた時代)には重要な貿易の中心地でした。

シットウェーへは空路で、ヤンゴンとマンダレーの両都市から飛行便があります。 バスも利用できますが、非常に時間がかかる為、空路がお勧めです。

シットウェーには、海とカラダン川が合流する町の南数キロに位置する、小さな公園と360度のパノラマビューを楽しめる古い望楼があります。 シットウェーの観光スポットは、アトゥラマラゼインピロンチャンターパゴダ、チャウ僧院、マハクタラ僧院、アデイルティムシマ、仏陀美術館、ヤカイン州文化博物館等があります。

シットウェーは食文化でも、他の地域とは異なる料理があります。この地域の伝統的な食べ物はとにかく辛いです。辛いものだけでなく、インド料理や中華料理もあります。

ミャウー

ミャウーは、ミャンマーの西部ベンガル湾近くのカラダン川とレイミョ川の間に位置しています。 ミャウーは、シットウェーからボートで、約6時間で行くことができます。緑豊かななだらかな丘と湿地帯に囲まれた街です。

ラカインの旧首都(アラカン)は、1430年にミンソーモン王によって最初に建設され、355年の間首都でした。 ここは1430年から1785年まで帝国であるミャウー王国の首都でした。17世紀初頭にカトリックの牧師・セバスチャンマンリケがこの地域を訪れた後、黄金の都市ミャウーは東洋の素晴らしい都市としてヨーロッパで知られるようになりました。 1635年のティリトゥダマ王の戴冠式とラカイン裁判所については、イギリス人作家モーリス・コリスはミャウーとヤカインの著書 『The Land of the Great Image:Being experience of Friar Manrique’ travels in Arakan』を出版した後に有名になりました。

シッタウン寺院

シッタウン寺院の名前は「80,000仏像の寺院」を意味し、「勝利の寺院」としても知られています。 シッタウン寺院は、ベンガルの征服を記念して1535年から1536年にミンビン王によって建立されました。 王宮の北、ポカウンヒルの西側に位置し、アンドー・テイン寺院に隣接しています。 要塞がお寺のように見えます。500年後、寺院はミャウーで一象徴的なモニュメントの1つになりました。塔は、祈り、いくつかの儀式、そして通常は秘密裏に行われるいくつかの王の儀式に使われていました。 それは1.8mの厚さの固い砂岩で「岩の洞窟トンネル」のように建設されました。 建設にはモルタルは使用せず、石は石のブラケットで結合されていました。約84,000の聖遺物を収容していると言われ、84,000の仏陀に捧げられました。

アンドー・テイン寺院

アンドー(仏陀の歯の遺物を意味)は、シッタウン寺院の北東わずか26mにある塔です。 この寺院は、もともと西暦1521年にミンフララザ王によって建立されました。寺院の中央の塔には、スリランカからミンビン王が入手した仏陀の歯の遺物が収められています。 寺院は純粋な砂岩の八角形の構造で、2つの内部八角形の同心円状の通路があります。 寺院の南、北、西のプラットホームには、レンガで造られた15の小さな円形の塔が立っています。 東には礼拝堂があり、東、北、南にそれぞれに入り口があります。 石垣が外庭から仕切られており、外庭も壁を通り過ぎています。 寺院の中内側には2つの舗装があります。 最初の舗装の両方の壁には、合計142の仏像が崇拝されるために配置されている小さな穴があります。

ドッカンティン寺院

ドッカンティン寺院は、ミャウーでは有名な寺院の1つで、「クロスビームオーディネーションホール」を意味します。 ミャウーにある他の寺院と同様に、ドッカンティン寺院は2つの目的「要塞-寺院」として設計されました。 ミンファローン王によって1571年に建立されたこの寺院は、仏像を祀る場所です。 ドッカンティンは、シッタウン寺院の北西約90mの所にあります。

ドッカンティン寺院は、平らな面の上に大きな中央の鐘型、角が4つの小さいサイズの仏塔に囲まれていて、パゴダは多くの人々の心を引き付けます。 中央のドームには四角い窓があり、夜明けの太陽の日差しが中央の部屋の仏像を照らします。 高さ約4.5mの中央寺院の部屋に通じる長いアーチ型の通路があり、仏教大司教が僧侶と宗教問題について話し合うために使われた場所と言われています。 古代の石で作られた女性の彫刻もたくさんあります。

コウタウンパゴダ

コウタウンパゴダは、地元の人々がよく訪れる場所で、ミャウーでは有名な場所です。ご加護を得るためにシッタウン寺院を建設したミンビン王の息子であるディッカ王によって、1553年に建設されました。 コウタウンは、「9万体の仏像の寺院」を意味します。 コウタウンパゴダは、柔らかい砂岩材料のため、他のミャウー構造よりも強く作られました。 ディッカ王はこのパゴダを6か月で完成するように指示しましたが、病を患っていて、死の前に完成したパゴダ見たかったようです。 切り刻まれた石レンガを約128km離れた場所から運ぶ代わりに、より近い場所の砂岩を使用しました。 まだ残っているテラスはとても壮観です。 中央の大きな仏塔は仏像が並ぶ屋根付きの通路で囲まれています。 アーチの廊下に、ヤモリが多くの仏像で寛いでいるのを見ることができますが、昼間は涼しく感じられます。